脳の病気

脳卒中になった方の体験談(脳出血・脳梗塞・くも膜下出血)

脳出血になった方の体験談

女性
女性
脳出血を患いました。クモ膜下で正式な病名は「脳動静脈奇形」で、脳の血管の奇形箇所からの出血です。

発覚のきっかけは妊娠だそうですが、中高生の頃から夜中に嘔吐することもありましたし、20代になってからは頭痛がたまに起き、後で思うと頭痛の部位がいつも同じで、そこから出血しました。
朝、妙に早く午前5時ごろ目が醒めWCにたったところ、いつもの手でトイレットペーパーを引き出すことができませんでした。ポトリと手が落ちてしまうのです。仕方なく逆の手で引き出しました。

妊娠中でいつもと違うし、調子がちょっと悪いのかなと思いそのまま寝たんですが、また起きると変わらず片手に力が入らずダランとさがったまま。思えば最初に目覚めた時には出血がはじまっていたんですね。
救急車を呼べばよかったですが、喋れるし歩けたので、初診で総合病院へ。

長い待ち時間の間、また吐き気におそわれたり頭痛がしたり。
順番になりCTを取るように言われたころには、歩くと靴が脱げるようになっていました。
CTを診た先生が緊急入院の指示をし、カテーテル造影検査ののち産科と連携してその日のうちに10時間かかって手術しました。

入院中は脳の腫れも出たし、IVHというカテーテルが腿から心臓の近くまで入っていて管につながれ2週間くらい不便でした。脳の腫れが引いてから少しずつ歩いたりベッド上で自分で簡単な運動やストレッチをしてました。(若かったから、元気)それでも、歩行とか足りなかったせいか、足が静脈炎を起こし40度熱が出たり
半身不随とかにならなくて幸いだったけど、後遺症で手の感覚が一部失われてます。他人から見た目、健康な人と変わらないので自分で気をつけてますが、ボタンがかけにくいし、エプロンは後ろで蝶結びとかできません。後遺症が残っているし、薬も飲んでいてかかりつけ医に毎月通っています。
奇形なら脳ドックや頭痛外来で見つかっただろうと今は思います。

男性
男性
私ではないのですが、とある政党の委員長がなりました。左脳に出血したために、一週間程度眠り続けた後言語障害が出ました。

左脳は言語中枢をコントロールしているところで、ケー以外の言葉をしゃべれなくなりました。

これにより、意思疎通が難しくなりました。言っている事が伝わっているかどうかが解らない。

それと左脳に影響がある為に、右半分が動きません。

ある程度は動くようですが、歩行が出来ない為に車いすに乗っています。

聞いたところ、仕事途中でバスを待っていたところ突然倒れ、救急車で運ばれました。

幸い近くにお兄さんがいたので、すぐ手術をし命だけは助かりました。

リハビリはある程度病院でしましたが、完治すると老人ホームに転居させられました。

友人だったのですがとても残念です。

男性
男性
3か月前に脳出血(左側被殻出血)で2週間入院しました。発症当日は、特に前兆もなくいつものように仕事をしていましたが、同僚と歩いているとき「やけに今日はぶつかってくるな」と思われるほど右に曲がって歩いていたそうです。

しかし、自分にはその自覚はありません。休憩のためソファーに座って初めて目が回っていることに気づき、近くの同僚に話しかけましたが呂律が回らず言葉になりません。

すぐさま救急車を呼んで病院に搬送。30分程度で病院につきました。あとは、CTやMRIによる検査が続き脳出血と判明しました。

3日間集中治療室にいましたが、一番のショックは排尿後最後の数滴の切れを感じることができず紙パンツをはいたことです。排尿感覚はあるのですが終わりがわかりません。

看護師さんにも「ショックだよね」と言われ、60歳を過ぎるとその言葉の方がショックでした。

4日目から一般病棟に移りリハビリの日々です。言葉、右半身の運動機能、指先のリハビリが続きました。

看護婦さんのショックな言葉が逆にモチベーションになり年齢以上に頑張ることができました。若い作業療法士さんとペアを組みましたが、トレーナーのように取り組んでくれました。

10日を過ぎると外を走ることができるまでに回服しました。
作業療法士として立派だなと思ったのは、一緒にランニングをして私に花を持たせて励ましてくれたことです。

いくつになっても励ましは嬉しいものです。
リハビリはストイックになり周りが見えなくなります。
ちょっと自信を持たせてくれただけで心が和み次へのモチベーションが上がります。
きっと計算済みだったのでしょう。お陰で2週間で退院できました。

今は右半身に少ししびれが残っていますが、このようにキーボードを打つことができるようになりました。

脳出血は誰にでも発症する可能性がある病気だと身をもって体験しました。

女性
女性
脳出血の原因は分かりませんが、当時は睡眠不足と過度のストレス、常に疲労感があり毎日の飲酒(350㎖を5~6本)、症状として今思うには、たまにフラツキ目の疲れがあったように思います。夕飯の支度途中での発症でした、持っていた皿をテーブルに置いた時に手がだらりとテーブルから落ちて、そのまま椅子に座ったのですが上半身を真っすぐに保てられなくて、テーブルの上に突っ伏してしまいました、息子に上半身を支えてもらっていました、何が起こっているのかわからずとても怖くて、ずっとしゃべっていましたがそれが良い効果で、だんだんろれつが回らなくなるのを家族全員で確認したので、救急車を呼びました

病院ではCTを撮った結果、開頭手術はしなくても大丈夫とのこと(脳内の血液は身体が吸収しますよとのことでした)覚えているのはICUに運ばれ、いつの間にか寝てしまっていて看護師さんに大事な手をお尻の下に敷いててはかわいそうですよって言われ、お腹の上に手を置かれましたが何も感じませんでした、右手で左手を触ったらまるで木の棒を触っているみたいで、温度もなくザラザラと感じました。あーっ 私は左の感覚がなくなったんだと思いました4日目に一般病棟に移動しました。一人では何もできなくなっていました、ベッドからの起き上がりも足を降ろすのも全部看護師さん頼みです、リハビリが始まると出来なくなったことを突き付けられましたが、リハビリを頑張ると出来ることも沢山あります、私の身体頑張っていると思って泣いたことも何度もありました、発症からまもなく10年になります、今は一本杖で歩いています。

やはり時の経過と共に歩く速度は遅くなったり、手の握力は無くなってきていますが諦めずに病院でやっていたリハビリメニューを思い出しながら今でも頑張っています。
諦めたらそれ以上は良くなりませんから、まだ自分のことは自分でやりたいですから。

男性
男性
高血圧(副腎過形成に起因した昇圧ホルモンの過剰)が原因で発症。発症時は、右脳出血だったので左半身の動きが悪くなったことと感覚鈍麻が生じるぐらいで痛みなどなく突然だった。トータル7か月の入院で、開頭などの手術はせずに済み、複数の点滴をして1か月の安静。動けないので尿道カテーテルで排泄、排便はおむつでした。

出血部(血腫)の拡大がないことが、嚥下の障害もないことを確認された後、普通の病院食がスタート。リハビリはかなり初期の段階からPTやOTの他動による動きの維持が行われ、1か月のこの頃からベット上で上体をギャッチアップして体幹の維持などがは始まりました。2か月目くらいに車いすでの介助付き移動となり、リハビリもリハビリ室で行われました。最初は車いすからベット等への移乗、左半身麻痺のアプローチ、4か月ぐらいから、足に装具をつけた杖付き歩行、5か月で装具のみの杖なし歩行となりました。このあたりでPTやOTと一緒に電車やバスなどの乗降を行い生活復帰のプログラムが実施されました。6か月を過ぎると、不自由は残るが社会復帰のめどもたち、住宅改装(玄関や浴室など手すり設置)を完了し試験的な一時帰宅の後、基礎疾患(高血圧)の安定を確認して退院となりました。

半年以上も上げ膳据え膳の病棟暮らしから以前の生活に戻ると、音や視界の動きなど情報の多さに感覚を戻していくことが少し苦になりました(とても疲れる)。筋肉もぜい肉も落ちるので、生活に戻ったら衣服の新調は必要です。また、片麻痺により不自由になりますので、これによる精神的な落ち込みを超えることが一つの試練です。特に生活に戻ると過去と現実の差を実感します。このあたりは、変な相談やネットにいくのではなく、少しづつ世間に出て自分なりに受け入れしていくしかなかったですね。

女性
女性
昨年10月末にクモ膜下出血を患いました。とある日、普段と同じように1日を終えて、就寝しどれくらい寝たのかは覚えていないが、確か何かの夢を見ていた様な覚えがあるがテレビドラマの終わりみたいに、その場面が終わった瞬間、誰かに後ろからおもいっきりバットで殴られたような痛みがあり頭を抱えた覚えがある。

それからは、声も出せない痛みでとにかく体を縮めて痛みを我慢していた。とにかく病院に行かないとと思う気持ちと痛みをこらえている気力とで知らないうちに寝てしまっていた。

翌朝運良く目が覚め、昨夜の痛みが和らいでいたが頭はぼんやりしていた気がする。家族には、昨夜の話をし病院へ連れて行ってもらう。
近院に行くが、たまたまその日は脳外科が休診日であった為、少し遠い病院へ再度連れて行ってもらい、受付で手続き中倒れてしまい記憶が無くなる。次に目が覚めたのはベッドの上だった。

しかし、目には、アイマスク。目から入ってくる刺激が脳に良くないと。しばらくしてから主治医より検査の結果、クモ膜下出血だと診断を告げられた。
しかし、私の場合は、出血が何故か止まっておりどこから出血しているか血管を特定できずむやみに治療ができない事を告げられた。

入院してから二週間集中治療室にいたが、再出血も無く良かったが根治治療ができてなく集中治療室でなくては、いけなくなった。
丁度その日MRI検査にて、脳出血後に起こる主血管に発症する血管連鎖と言う症状が出現した為に出血したであろう血管を発覚することができ、そこから血管を広げる治療が約1週間はじまった。
治療後、結果良好で後遺症も残らず、外見からはクモ膜下出血を発症したと、わからないくらいになり退院し現在は自宅療養中です。

女性
女性
22歳の時に、自転車で走っていたら曲ってきたタクシーに跳ねられて、宙を舞いました。
気づけば地面にうつぶせになっていましたが、かろうじて意識はありました。

ただ、全身打撲のため、すぐには自力では動かず、周辺のお店の店員さんが外に出てきて歩道に連れて行ってくれました。
救急車に乗せられ、病院に搬送され、検査を受けた結果、急性硬膜下血腫という診断をくだされました。

一晩救急病棟にて入院し、翌日の検査結果によっては開頭手術をし、出血を取り除かなければならない状況でしたが、翌日の検査では運良く出血はそのまま吸収され、手術の必要性がなかったのです。

タクシーとぶつかった方から衝撃が加わり、反対側の側頭部から出血を起こすというような強い衝撃だったようですが、年齢が若かったということもあり吸収できたことが不幸中の幸いでした。

男性
男性
普段から血圧が高く、脳出血を気を付けていたのですが、脳出血を起こしてしまいました、幸いに寝付く前だったの出、発症してすぐに分かったのです。

そして、救急車を呼んで、病院へ行き手当をしましたが、後遺症は残っています。

初めの一月は、初めに入院した病院で、リハビリを中心にした治療をしましたが、左手と左足は、思うように動きはしませんでした、その後はリハビリ専門の病院へ転院して5ヶ月リハビリに励みましたが、杖を突いて自分で歩くことが出来る様になりましたが、左手の指は今も思うようには動きません。

すでに5年の歳月がたちましたが、現状維持の状態がつづいているのです。ほんのわずかな出血の場所に寄り症状が変わってくるのです。私は、ラッキーだったのでしょうか、なんとか普通の生活が出来ているだけ良かったのですね。

女性
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40歳の時でした。
朝から出勤の準備に忙しなく動いていると何か気分が悪くなりました。椅子に腰掛け暫くジッとしていると落ち着いたようだったので腕時計をはめようとしました。
しかし時計を腕にはめる事が出来ず、その後の記憶はありません。

家族の話によるとそのまま寝そべるように倒れ込んだので病院に運ばれ脳出血と診断されたそうです。手術ではなく点滴での治療で病院に運ばれて丸2日寝ていたそうです。その後意識は戻ったのですが、記憶や言葉が思い出せず、左半身に少し麻痺がありました。2ヶ月間治療やリハビリをして退院しました。
今もその時の事はよくわかりません。しかし左半身の麻痺も良くなり普通に生活をしています。

しかしこの脳出血は高血圧が原因だったようです。倒れた時、血圧は200にまで上昇していたそうです。今も血圧の薬は欠かせません。

男性
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私の父の話です。長年糖尿病を患っていた父ですが、ある日の夕方、座っていた椅子から『ズズッ』とずり落ちそうになりました。私と母がすぐそばにいたので、すぐに異変に気が付きました。

左側の腕の力が入らなくなり、口が半開きになり、言葉が出にくくなっていました。救急車を呼ぼうとすると、ろれつの回らなくなった状態で「近所の手前恥ずかしいから呼ぶな。」と怒鳴るので、仕方なく自家用車でかかり付けの総合病院へ運びました。

即入院となり、検査の結果、脳出血を起こしているので、とりあえずは薬物治療で様子を見ることになりました。今晩は危険な状態なのであらかじめ覚悟をして置くように医者からは説明がありました。お薬の効果が表れて、ひとまず出血は止まったということで1か月半くらいで退院になりました。

幸いなことに、後遺症はほとんどなくて脳出血は治癒しましたが、従来からの糖尿病が悪化して人工透析を受けるようになってしまいました。

脳梗塞になった方の体験談

男性
男性
ある日の朝、起きようとすると何か気分が悪く、身体が重くて起きあがれなかった。
妻を呼んで起こしてもらったが、どうにも気持ちが悪く、尋常ではない感じがした。

自分はそんなつもりはなかったが、妻が言葉がはっきりしゃべれていない、と言って慌てて救急車を呼んでくれた。
着替えなどはなんとかしていたのに、いざ救急車が来たときには身体に力が入らず、1人では歩けなかった。

搬送先の病院で、詰まった血栓を溶かす処置を受けて、脳梗塞自体の進行は食い止められ、リハビリのために入院することになった。
最初は杖で歩くのがやっとで、手や口の動きも不自由だったが、2週間ほどでなんとか生活動作はぎこちないながらもできるようになって退院して通院でのリハビリを半年ほど続けた。
2年ほど経って、ようやく歩き方などに違和感がなくなったように思える。

女性
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その日私はいつも通りに仕事をこなしていました。調理の仕事をしているので立って作業をしていると、いきなり頭痛がしてフラフラして立っていられなくなりました。

左の顔から足の先まで痺れて、いつもの頭痛じゃないと思いました。私はその場にしゃがみ込み良くなるのを待ちましたが、いっこうに回復せず先輩に抱えられながら休憩室へ向かいました。その後両親に迎えにきてもらい、近くの病院で症状を話し、脳のCTを撮りましたが何も写らなかったので、ストレスではないかという診断でそのまま帰されました。

その後もずっと具合が悪く、立っていられず歩くこともままなりませんでした。次の日まだ症状がひどかったので前日と同じ病院へ行き再びCTを撮ったところ今度は異変が写り、先生が救急車を手配してそのまま大きな病院へ搬送されて、脳梗塞と診断を受けました。脳梗塞は時間が重要だという話を後から聞いて怖くなりました。

男性
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夏の暑い日に屋外のビヤガーデンにて飲酒し、大量の汗をかきながらのビールを大量に摂取したのでトイレにも多く行き、極度の脱水状態に陥っているとも気付かづに、2次会会場まで走って移動し、冷房ガンガンのスナックで気付かないうちに隣にいた人の肩に頭を載せるように傾いていた。

直ぐに救急車で病院に搬送され、カテーテル手術を受けたが、後遺症は重度で、立ち上がる事はおろか、座る事さえもできない程だった。

急性期は車椅子への移乗も一人では出来ないであった。1か月が過ぎ、リハビリ病院へ転院、ようやく、本格的なリハビリが始まった。

当初の目標は、車椅子・トイレへの移乗で。

2月位で、見守りからトイレフリーに次の目標は、杖移動院内フリーだが、当初は、リハビリ室でセラピストが支えてくれても怖いくらいで、結局、院内を杖移動出来るまでに4~5カ月程かかった。

そのうちに、リハビリ病院の入院可能な期間が終わりとなり、早々に自宅の住宅改修を終え、7か月に及ぶ入院生活が終わる。

回復具合は、足:杖と装具があれば歩行可能。手:全く動かない使用不可。

このようなとても一人で生きていけない状態で、退院。以後、外来通院リハビリと介護保険で、デイサービスでのリハが始まる。既に回復期と呼ばれる6カ月を超えている事から、デイサービスも外来リハも目的は治療では無く維持であった。

この対応に不満を覚え、何か無いかと探しだして、幹細胞による再生医療にトライする事を決断。

高額で治る保証も無いが、藁をも掴む想いでトライする。
治療の結果、歩行のスピードは上がり、距離も3km程度歩けるまでになる。手は相変わらず使う事は困難だが、調子が良い時は手が開くまでになり、お手玉を掴んで放しての練習が出来るようになる。

発症から3年以上経った現在でも、麻痺の状態は重いままで、腕は曲がったまま、足はつま先が常に下を向いている。

男性
男性
70才で発症しました。当日まで元気に勤務していていた帰宅でバスに乗っていたところ、左手の感覚が全くなく動かすことができなくなりました。
しかしすぐに元通りになったため帰宅しましたが、風呂と食事の後、再発症してしまい救急搬送されました。救急病院には4週間入院しましたが歩くことは出来ませんでした。

点滴は別の炎症のための抗生物質と生理水、鼻から食道に食べ物や薬を入れるチュウブ、鼻に酸素、膀胱にカテーテルを挿入するなどそのほかに心電図などからだ中に管を装填されていました。
それでも車椅子ながらしばらくしてリハビリが開始されましたが、左の麻痺は強くで中程度の脳梗塞との診断でした。
転院後はすぐに歩行訓練が開始され3か月たったころ、やっと杖と装具により歩行が出来るようになりました。

退院までに100日以上かかりました。

女性
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わたしが脳梗塞になったのは30歳の時です

事務系の仕事をしていて夕方なぜだか肩にしびれを感じ、自分ではあまり気にしておらず疲れかなと思い一呼吸 その後夜まで仕事をし
帰宅途中、今度は頭がもやもやする気がしていました

こんなに体がおかしいのは初めてだったのですが、

仕事が忙しく忙しかったためだろうとそのまま帰宅しましたがご飯支度中突然倒れてしまいました

突然のことでまさか30代で脳梗塞になるとは思ってもいませんでした。

リハビリに通い今は元気になりましたが、これからは食生活や、体に疲れをためない生活を心がけ二度と同じようなことがおきないよう気をつけていきたいと思いました
そして、旦那にも健康を気遣う食生活を心がけてみんな元気に過ごしていきたいと願っています

女性
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ある朝、仕事出勤前に食事を取ろうとして、口にした時に飲み込む事が出来ませんでした。
私は、いろいろな病気をしており、少しでも体調がおかしいと思うと病院に行くという習慣がありましたので、この日もまだ、午前6時過ぎでしたが、救急外来を受診しました。

するとMRIの結果、後頭部下部の小さな血管の梗塞でした。病名は「ワレンベルグ症候群」と診断され、約2週間ほど入院しました。
主治医は、「早く気が付いて良かったです。」と言われましたが、3年程経つというのに未だに、左顔面から首を境にして右身体には、感覚障害が残っています。
発症した時は、言葉もろれつが回らず、左顔面は、目も明けられませんでした。

退院前の1週間はリハビリのための入院です。病室でも言葉の練習が出来る様に、早口言葉などの練習をしました。
顔面の体操をしていく内に顔は発病前とあまり変わらなくなりましたが、右身体は今でも温度感覚と痛さを感じないので、右手はいつも冷たく、痛さを感じないので、たまには右手を怪我をしていることがあります。
しかし、運動感覚に異常がなかったのがせめてもの救いだと思っています。

女性
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早朝に娘と話している時に、急に舌がもつれて上手く話せないと感じた。その後10分程経って、左の肩と肘を中心に腕全体が痺れているような感じがしてきた。
物を持ったりは出来るが痺れた感じが取れず、舌がもつれる感じも無くならないので、何となくネットで症状を調べてみたら脳梗塞の可能性ありと分かったので、
病院に行ってみた。

問診の結果、軽い脳梗塞だったのだろうと言われ、念のためにと血圧を計ったら異常な数値(210/138)が出たので、すぐにMRIを受けるよう指示された。
MRIの結果、ラクナ梗塞を起こしていた事が発覚、緊急入院となった。運が良い事に、軽く済む部位で脳梗塞が起きていたとの事で、点滴と投薬での治療となった。
病棟内フリーで過ごし、数日後からは血圧の様子を見ながらリハビリも始まった。腕の痺れも入院後すぐ気にならなくなっていた為、リハビリでは血圧を測りつつ
病院敷地内を散歩する事がメインだった。2週間で退院した。

現在は2ヶ月に一度通院して、再発予防の為の薬を処方してもらっている。

女性
女性
頻繁に頭痛がするので、脳外科へ行ったら、脳梗塞と言われました。
びっくりしました。
脳梗塞のイメージがガラッと変わりました。
倒れたりしてないので、投薬治療をしてます。

脳梗塞って倒れるものだと思ってたので、こんな頭痛でも脳梗塞なんだと初めて知りました。
手術はしなくていいので、投薬だけと聞いて安心しました。

ただ何かのきっかけで倒れたりするのが怖いですが、今のところ大丈夫だと思うので、普通に生活しています。
歯医者に行く時は薬の事を言って、出血を少なくしてもらうように治療するのが面倒ですが、仕方ないなと思ってます。
たまに歯科医で断られる事があるので、探すのも面倒です。

それ以外では今のところ不自由はしてないので。

くも膜下出血になった方の体験談

男性
男性
ある日突然後頭部から首肩にかけて、吊ったような感じになり、しばらく動けなかった。
その後激しい頭痛に襲われました。普段から頭痛持ちなので、あまり気にせず、ひどい頭痛だと思っていました。
市販の頭痛薬をのみ様子をみていました。

頭痛は、なかなか治まらなかったのですが、そんなこともよくあるので、薬を飲み飲み普通に生活していました。
別件で整形外科にかかっていたので、先生に頭が吊るってあるんですか?と聞いたら、頭が吊るってことはないね、と言われました。
そのうち 左手に力が入らないことがあったり、一部の言葉が呂律が回らなくなっ足りもして、薬のせいかも?などと思っていました。

あまりに頭痛が治らないので、脳外科にいってみました。偏頭痛に長けている先生を探し行くとCTを撮りました。
先生にはすぐに大きな病院で見てもらった方がいい、と言われて以前かかっていた(急性脳炎で)市立病院の先生に連絡をしてもらった。

翌日市立病院へ行き、MRIを撮りましたが、異常はない、と言われました。手に力が入らないことや呂律が回らないのは薬のせいですか?と聞くと、両手上げてみて。
とか「らりるれろ」と言ってみて。と言われてやりましたが、特に何も言われず、カロナール出すから、飲んで様子みて。と。
なんかあったら、電話して。と帰されました。カロナールで効くの?と思いながらも 帰って薬を飲みました。翌日飲んでもよくならないし、痛みはひどいしで電話すると、何錠飲んでるか聞かれ、3錠というと、5錠飲めるから5錠飲んでと言われました。
その夜我慢できないほどの痛みになり、救急車で運ばれました。運ばれた時主治医はおらず、他の先生がくも膜下です。
先日のMRIでも確認できました。こちらの見落としです。と言われたそうです。ひどい話です。それから私の闘病生活は始まりました。

男性
男性
私は6月26日にくも膜下出血になってしまいました。
その日の朝6時頃にいつも通り洗顔と歯磨きをしている時に急に頭が痛くなりおかしいと思いつつリビングに行き妻に伝えました。
痛みがだんだんと強くなり今にも意識が無くなってしまいそうでした。妻に救急車を呼んでもらったのですが、家は4階建てのマンションでエレベーターも無いのでレスキューも一緒に来る事になりました。

周りの人に迷惑を掛けてはいけないと思い妻と子供に肩を借り引きずり下ろされるかのようになんとか下まで降りました。
無事救急車に乗る事が出来レスキューも来たのですがすぐに帰りました。
そのまま病院に到着し検査の結果は、頭の中で出血しているとの事でいわゆるくも膜下出血ですと言われビックリしました。

そのまま入院する事になり、痛みが治まるまで激痛に耐えていました。
幸い手術もしなくて済み3週間で退院する事が出来ました。

今では、後遺症もなく月1回の通院させてもらってるのですが、それ以来どうも体の調子が悪く特に朝方が大変です。
今ではなんとか仕事に復帰していますが体調の悪い時は休ませてもらっていますので迷惑ばかり掛けています。
妻や子供、それに会社の人達に感謝です。

男性
男性
20代後半のときの通勤中に、階段から転落し外傷性くも膜下出血の診断を受けました。
救急搬送された病院で治療を受けて一命をとりとめたものの、右半身麻痺の後遺症があったため、入院生活は非常に大変でした。

右利きなので、食事も満足に食べられず、お風呂も一人では入れず、恥ずかしい思い、情けない思いをしました。
病院には、医療相談員がいて、リハビリの専門病院を案内してもらいました。リハビリ病院では、毎日休みなくハードなリハビリでした。
話を聞くと、診断を受けてから早くに入院しないと入院できなくなってしまう特別な病院だったそうです。
そのお陰で、今は仕事に復帰することができています。

今思えば、病院といっとも、多くの方々に支えられていたなと感謝しかありません。

女性
女性
私の実の父親がくも膜下で亡くなってしまいました。
今思うと、吐き気がすると言ったのは症状の表れだったのでしょうか。

その後立ち上がろうとして倒れて意識をなくし病院に搬送されMRI撮影して頭の中は出血した血液で頭蓋骨も見えない程でした。

本人は意識がないので口から呼吸器、点滴、脈拍の機械、心臓の機械が取り付けられていました。

家族で声をかけても反応はなく、入院した日から3日目に45歳でこの世を去りました。
ちなみに、高血圧、糖尿病を患っていました。

日本酒が大好きで、病院にかかるのが何よりも嫌いで仕事中も目がちらつき見えずらいと言っていました。
急に病気に襲われてしまうのではないかとこの年になると考えてしまいます。

女性
女性
持病として糖尿病を患っていますが、併発した状態ではありませんでした。自身ではわかりませんでしたが、発覚したのは朝起きて変な痺れがあり「なんだろう?変な寝方しちゃったのかな?」と思って深くは気にしてませんでした。しかし、髪の毛を束ねるときに髪ゴムのくくりかたが何故かわからなかったのです。違和感を感じましたが、寝ぼけてるか〜ぐらいに思い過ごしました。

その直後に知人からの電話に出たら、言葉がどもる。どもりかたが経験ないどもりかたをして、すぐに電話を切りました。何となくの直感で日曜日だった事もあり、自分で病院に行くより救急車の方が確実な判断をしてもらえ、適切な診察が出来る救急に運ばれると思いすぐに救急車を呼びました。救急病院に搬送されて検査をした結果、「脳梗塞です。」と診断されました。

しかし、かなり早い症状での処置ができた為、点滴治療ののちしばし安静での入院。一週間で退院できました。退院後は、特に薬もリハビリもなく日常の生活に戻れました。気づくのがもう少し遅ければ障害が残ってもおかしくないと医師に言われました。日頃から糖尿病の持病で食事や運動には特に心がけて色々と行っていましたが、今回の発症では持病とは関係性がなく、服用していたピルによる血栓症でしたので、今現在はピルの服用はしていません。まさかピルで・・・とは思いましたが、思えば注意指示には血栓症の可能性もある事は始めに聞いたような気もします。
以前より食事内容や運動量などを整えながら生活しています。

男性
男性
当時居た会社の不始末の後始末のために退職。次の会社と面接をすませ出社日も決まっていたある日の朝のこと。
右半身に重りを付けられたような激しい重さを感じ同時に呂律も微妙に怪しくそのまま動けなくなりその日の夜病院へ担当医いわく「検査からしたら、定期検診受けてたらこれ見抜けたかも?」と言われるデータがあったとのこと定期検診受けてたのですが・・・・・ 

そのまま一ヶ月半入院(入院15日後くらいからリハビリ 同じ時間帯のリハビリ対象者が恐れおののくほどのリハビリ「作業理学療法とも」を入院中その後通院時も受診リハビリ通院で三ヶ月後遺症は右足に残る程度で、走るの事それ以上の激しいことは控えてます。(短時間なら持つ事もあるけどそこまでしてやることでもないとしていません)がマニュアル車も乗ります。神経質な方なら気が付かれますが、大方わかりません

男性
男性
バイクと車の追突事故が原因です。20代中頃でした。他にも肋骨骨折なども有り、一ヶ月の入院をしました。

軽度のくも膜下出血でしたが、頭の中を圧迫する様な痛みが一週間ほど続き、正直寝るのも困難で、薬の効果がきれ始めると毎晩唸りながら耐えていた事を今でも思い出します。

強力な薬を服用すれば落ち着くのですが、薬の効果が切れ始める時間近くになると不安になり、いつあの割れそうに痛くなるのがはじまるのかと、正直な地獄の日々でした。その他、吐き気や食欲不振、苛立ちがもあり、痛みの度に苦しそうにする私を見て、家族が居ても立っても居られない様な状態で、特に妻は仕事もある中で、自分の見舞いに来てくれていたので、その心労は相当なものだったと思います。幸い軽度ということもあり、1週間ほどで頭痛や吐き気などは治りましたが、これがもし出血した場所が悪かったら、もし出血量が多かったらと思うと、ゾッとします。そして、退院の際に、「くも膜下出血は治りましたが、治ってもてんかんが起きるかもしてないので一応、心には止めておいて下さいね。」と言われた時は、ショックで堪らなかったです。

男性
男性
くも膜下出血になった原因は階段からの落下による外傷性くも膜下出血でした。
発覚したのは病院に搬送され運ばれてる最中に意識を取り戻しましたが、現在どこにいるかなどが何もわからなく、右をみてから左を見たところ頭の中を撫でられるような
表現し難い気持ち悪さに襲われ、MRIで発覚。
急性くも膜下血腫、外傷性くも膜下出血、脳挫傷、頭がい骨骨折の診断を下されました。
治るまでは1か月以上かかり、2週間ほどは打ちどころも悪く、味覚と嗅覚を完全に失い、麺類はただのお湯ににゅるっとしたものが入ってるような感覚を飲み込むことになり、具合が悪くなったのでしばらくは食が細くなりました。
ただ、喫煙者で動けないストレスから喫煙したいと5日で退院2週間に1回病院で検査をしましたが手術はしませんでしたが、不幸中の幸いで鼻の軟骨が曲がってしまい鼻呼吸がし辛い以外は外傷も残らず後遺症もなく過ごしております。
男性
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ありがちですが、休日の自宅で突然の発症でした。
パソコンに向かって趣味の時間を過ごしており、指先に違和感を感じていました。
トイレに立ち上がったと同時に、その場に倒れ込み、物音を聞きつけた家族が駆けつけ、救急車を手配してくれました。
搬送中、無意識に同僚二人に携帯から電話をしていたようで、後に「呂律が回ってなくて気味悪かった」「サイレンの音がすぐ近くで鳴っていて、何かあったことはわかったけど」と言われたのを覚えています。
リハビリも含め3ヶ月ほどの入院生活の中、1ヶ月ほどで病室にノートパソコンを持込み短時間ですが仕事をこなしていました。左手に麻痺が出ていたので、キータッチもリハビリにはなるからと病院側を説得してのことでした。
何とか日常生活に支障のない回復までこぎつけ退院。しばらく運転は避けて過ごしていました。麻痺の関係でハンドルやシフトを握る手に力が入らないことへの不安と、何より事故を起こしてしまうことへの恐怖があったためです。
現在も左手にはやや麻痺が残っています。リハビリとして、レザークラフトを趣味で始めました。「リハビリ」と思うと中々続かないですが、楽しみながらだと継続できます。運転も近距離であれば出来るようになりましたが、なるべく避けるようにしています。無自覚ですが、周囲からは左足もまだだと言われるので、当初の握力不安より咄嗟のペダル操作が懸念されて。
変わったのは食生活です。以前はインスタント系やコンビニ弁当をよく食していましたが、今は家族の手作り中心に。会社員なので、飲み会もありますが、アルコールも含めあまり摂取しないようにしています。幸い「ハラスメント」というほどはありませんが、懇親会などで飲み食いが少ないことを指摘されることもあります。
年月も経ち、当たり前になりつつある左の麻痺ですが、まだ子どもも小さいため、再発が無いように日々を過ごしています。

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